らーメモ

30年先の景色を見ながら 半径3メートル以内の世界を大事に

【子ども】年末年始の公園で

年末年始の時期
最寄の公園はわりと閑散としていて
来ている子どもの半分はあまり見かけない顔だ。

かく言う息子も
普段自宅エリアから少しだけ離れたところで
保育園生活をしているので
あまり見かけない顔、なのだけど。

見かけない顔同士は案外と声をかけやすいのか
彼は稼業期間の土日にはないくらい
何人もの子とかかわりながら遊んでいた。
自分の子どもバイクを他の子に貸してあげたり
逆にお砂遊びセットを借りたり
このところ
家では周囲の大人を振り回す場面が増え
強く叱られることも増えてしまったけど
昨日は息子の素敵なところをたくさん見られた。

どちらかというと変化より安定を好む息子だけど
友だちのもたらすものはまた別らしい。
まぁ、いつもそうとは限らないのだろうけどね。

【教育】2018年教室『学び合い』フォーラム 後記①

一週間たちました。
キャリア教育分科会で本当に伝えたかったこと。

・『学び合い』は考え方、特別支援ならなおのこと
・少なくとも重度の子の学校で方法論次元の『学び合い』は続かない
・キャリア教育の視点と『学び合い』の考え方がこれからの特別支援を動かす両輪になる
・特別支援の子が地域から「見えない」と言われること
・教育、医療、福祉の連携は、この価値観の共有、擦り合わせができるかどうか

どうしてこんなことを今書いてるかというと
その時全然話せてなかったから(´・ω・`)あぁぁ…

【子ども】ニンゲン一年生の息子と、親一年生のワタシ、夫

久しぶりの投稿はゆるい内容から。

 

 

ヨチヨチ父 とまどう日々

ヨチヨチ父 とまどう日々

 

 

ヨシタケさんの絵本は、その絵と、出てくるいろんな発想がおもしろくてハッとさせられてとても好きです。息子の興味関心とは関係なく私が読んでます。

今回の作品のコンセプトは、悩むお父さんに向けてというコンセプトのようですが、ポンコツ母の私も共感するところが多く、本棚に置いておいて時々疲れた時にぱらっと眺めたくなる、そんな一冊だなと感じました。

 

氷を入れたお茶のグラスに手を突っ込んでテーブルを水びたしにしたり、でっかい模造紙を用意したにもかかわらずカーペットにクレヨンでお絵描きをしたりとやりたい放題の息子も、床で寝ちゃった姿を見た瞬間全てがチャラになるのです。あと何年一緒にお風呂に入れるのだろうか。あと何回「だっこ」と言ってもらえるのか。

【ヲタトーク】ごく個人的な趣味で学校の先生におすすめする深夜アニメ その1

子どもが生まれる前は、よく夫婦で録りだめした深夜アニメを見ながら遅い夕食を共にしたものだった。今は子どもが寝た後に見るものがあればたまに見る、程度になったけど。時間ないからね。

ふと思い立ち、今回はこんな記事を書いて見ようかと。

Twitterとか見てると、結構自分がいいなと思った作品を同業者っぽい方が同じような視点で見ているのかなと思うこともあり。

そんなわけでちょっとシリーズで書いてみます。

ソードアートオンライン(シリーズ問わず) 

www.swordart-online.net

最近映画化もされました。VRMMORPG=仮想大規模オンラインロールプレイングゲームソードアートオンライン(SAO)」に参加する中学生(後のシリーズでは高校生になります)キリトと、ゲームを通して出会う人々のお話。
この話の設定等ちょっとややこしいので、まずシーズン1 アインクラッド編を見ることを推奨。そこまではいいやということであればストーリーだけ上記サイトで眺めるべし。

みどころ1:引きこもりゲーマーのヒーロー

主人公キリトは回を重ねるごとに天才最強ヒーローになっていくのだけど、彼は登場キャラクターの中で一番の引きこもり、ゲーマーでもある。ゲームの中では死闘を繰り広げ、周囲のプレイヤーは次々と命を落とす…その中での恐怖や混乱、心理的な葛藤をしっかり脚本の中で描いている。キリトに励まされる周りのプレーヤー(キリトと同世代の中高生が多い)の気持ちが分かる。

みどころ2:VRによって「生きる」病気の子ども

TVシリーズの最新シーズン マザーズロザリオ編のストーリーは、ヒロインのアスナがある凄腕プレイヤーに見込まれ、チームに参加してゲームのクリアを目指すのだが、実はこの凄腕プレイヤーはターミナル期の女子高生で、医療用VR機の臨床実験の被験者。同じように難病と闘う友人たちとオンライン上でチームを結成、ゲーム上の石碑に名を刻むことでこの世に生きた証を残そうとし、命の期限が迫るメンバーのために何としてもそれを実現させようと、アスナをチームに誘ったという話。はー長いな。


有り得る話だよね。っていうか似たことが既にもう起こっているんじゃないか。このレベルのシステムがまだ開発されてないってだけで。運動機能等制限があっても楽しみを持ちたい、自分の力を発揮したい、仲間と繋がり、成長したい。そういう子はいるだろう。実際こういう背景を持つ子に取材をしたのだろうか。全てを知ったアスナが友人らの協力とVRの活用によって、彼女にもう一度学校生活を体験させるというのも驚く。が、彼らの発想やアイディアはある意味で自然というか、リアルに感じられるのだ。ファンタジーにならないというか。こういう子たちを邪魔しない学校、教員で有りたい。
ちなみにこのは全シリーズの中でもちょっと気色が違うので賛否両論分かれるよう。

 

第2弾に続く。

【教育】教育はなぜ生まれたのか、そしてどこへ向かうのか

ずいぶん前に話題になった本。今年の初め頃、ようやく読んだ。

教育学と哲学を専門とする著者が書いた本書の内容、人に紹介するとこんなんかなと。

教育の力 (講談社現代新書)

教育の力 (講談社現代新書)

 

序章「そもそも教育は何のため?」が哲学、第Ⅰ部〜第Ⅲ部が教育の話。
教育関係以外の人が読むと、おそらくそんな印象を持つかと。

自由の相互承認

本書のキーワード<自由の相互承認>については序章で触れている。
公教育は<自由の相互承認>という原理を社会で実現するための仕組み。
また、子どもにとっては自分の自由をかなえるためのツール。
各人の自由をより実質化するためには、<自由の相互承認>が不可欠。
なので、公教育においては<自由の相互承認>の「感度を高める」ことも重要。
子どもがおもちゃを取り合うところから、それが自分にとって「損」であると無意識に気付き、妥協策を講じるというのがまさにそれ。

自分と他者とが互いに「折り合い」をつけることで、自分を含めた皆がハッピーになれる。『学び合い』の価値観ともリンクするのね。

ちなみに

この<自由の相互承認>の話を夫としたところ、お互い納得。
私は説明がヘタクソなので、夫に『学び合い』の求めるところや方法について話すといつもうまくいかず、最終的にケンカになって「どうして君とここでケンカしなきゃならないんだ!」と言われていたのだけど、初めてスッキリした。

学校にいいイメージのない人に読んでもらいやすいかも

学力=学ぶ力の定義から、これまでの学校の枠組みに対する批判までがとても簡潔にまとまっていて、以降の章では学びの3つの本質の実際の方法や経緯について書かれている。学校を息苦しく感じたことのある人には「こんな学習を経験したかった」と思えるものが少なからずあるのではないだろうか。強烈な個性・能力を持つがゆえに潰された経験のある人にとっては、学びの個別化が羨ましく見えるかもしれない。教員に恵まれず絶望したことのある人には、学びの共同化に救いを感じるかもしれない。勉強すること自体は嫌いじゃないけど授業はなんだかつまらなかった人は、学びのプロジェクト化にワクワクするかもしれない。

ディベートについても。
二項対立ではなく、第3のアイディアを求める「共通了解志向型ディベート(超ディベート)」を紹介し、現在の教育現場で行われるディベートの課題点とその解決のポイントを提示している。ディベートに心折れた経験のある、賢く優しい方に紹介したい。ディベートはインテリのケンカじゃないよね。私は長年そういうイメージを抱いていたよ。

次はこれが読んでみたい。

 

はじめての哲学的思考 (ちくまプリマー新書)

はじめての哲学的思考 (ちくまプリマー新書)

 

 

【教育】8/20『学び合い』神奈川の会@アミューあつぎ

『学び合い』あるいは『学び合い』◯◯の会ってなあに?という方はこちらへ。

www24.atwiki.jp

 

見ず知らずの人40人ほどが集まって、各々の持っている疑問や課題をその場で皆で話して解決しようって聞いたら、どう思いますか?
うわーそういうの無理って思う人、自然な反応だと思います。
いいね面白そうじゃんって思う人、多くはないだろうと思います。
私の頭の中には、この二つがだいたいいつも半々ぐらいでいます。

実は、会に参加すれば参加するほど、自分が『学び合い』の考えのもとに実践すればするほど、この二つの両方それぞれの思いが強くなっているんです。

『学び合い』の会は、参加者の自己紹介を軽くした後、主催者の「はいどうぞ」という声かけですぐに人が動き出します。それぞれが興味のある人のところへ行き「よろしくお願いします。えー私も実は中学生の数学やっててどうしても席を動けない生徒が…」なんて感じで声をかけ、自然にグループディスカッション開始。だいたいいきなり本題に入ります。ディスカッションの最中は皆とても集中しているから密度が濃く、ゆえに疲れる。脳ミソフル回転。終わるとどっと疲れるのです。今も興奮状態が身体のあちこちから感じられます。腰とか首とか肩とか。すると気づくのです。「あぁ…あの子が戸惑ったりしんどく感じるのは、こういうことか。」と。そういう子の姿を見れば見るほど、きっとこれからそういう思いになるんじゃないかと予想しています。

けれど。
やっぱりそのような、密度の濃いディスカッションで得られるものは大きく、また多くて、やめられない。
そして、自分が話したことが思いがけず誰かの課題解決のヒントになったり、解決をアシストすることになったりすると、やっぱりうれしいです。単純に「あーこんなことが役に立つんだなーよかったー」って。

にしても今日は人数が多く、参加者の層も厚くてびびりました。
熱気に飲まれました。自分の興奮状態がどうにもならず、何を喋ったのか正直あまりよく覚えていません。反省。
ある保護者の方が、自閉っ子で大人数の苦手な息子さんの就学について話していたことが自分に刺さりました。安心できる少人数の場が基地としてあるのは大事。個別支援と『学び合い』は両輪って、数日前に自分で言ってました。そんなことも痛感した会でした。支援級と通常級がもっと行き来気軽にできるといいんだけどな。