らーメモ

30年先の景色を見ながら 半径3メートル以内の世界を大事に

【教育】教育はなぜ生まれたのか、そしてどこへ向かうのか

ずいぶん前に話題になった本。今年の初め頃、ようやく読んだ。

教育学と哲学を専門とする著者が書いた本書の内容、人に紹介するとこんなんかなと。

教育の力 (講談社現代新書)

教育の力 (講談社現代新書)

 

序章「そもそも教育は何のため?」が哲学、第Ⅰ部〜第Ⅲ部が教育の話。
教育関係以外の人が読むと、おそらくそんな印象を持つかと。

自由の相互承認

本書のキーワード<自由の相互承認>については序章で触れている。
公教育は<自由の相互承認>という原理を社会で実現するための仕組み。
また、子どもにとっては自分の自由をかなえるためのツール。
各人の自由をより実質化するためには、<自由の相互承認>が不可欠。
なので、公教育においては<自由の相互承認>の「感度を高める」ことも重要。
子どもがおもちゃを取り合うところから、それが自分にとって「損」であると無意識に気付き、妥協策を講じるというのがまさにそれ。

自分と他者とが互いに「折り合い」をつけることで、自分を含めた皆がハッピーになれる。『学び合い』の価値観ともリンクするのね。

ちなみに

この<自由の相互承認>の話を夫としたところ、お互い納得。
私は説明がヘタクソなので、夫に『学び合い』の求めるところや方法について話すといつもうまくいかず、最終的にケンカになって「どうして君とここでケンカしなきゃならないんだ!」と言われていたのだけど、初めてスッキリした。

学校にいいイメージのない人に読んでもらいやすいかも

学力=学ぶ力の定義から、これまでの学校の枠組みに対する批判までがとても簡潔にまとまっていて、以降の章では学びの3つの本質の実際の方法や経緯について書かれている。学校を息苦しく感じたことのある人には「こんな学習を経験したかった」と思えるものが少なからずあるのではないだろうか。強烈な個性・能力を持つがゆえに潰された経験のある人にとっては、学びの個別化が羨ましく見えるかもしれない。教員に恵まれず絶望したことのある人には、学びの共同化に救いを感じるかもしれない。勉強すること自体は嫌いじゃないけど授業はなんだかつまらなかった人は、学びのプロジェクト化にワクワクするかもしれない。

ディベートについても。
二項対立ではなく、第3のアイディアを求める「共通了解志向型ディベート(超ディベート)」を紹介し、現在の教育現場で行われるディベートの課題点とその解決のポイントを提示している。ディベートに心折れた経験のある、賢く優しい方に紹介したい。ディベートはインテリのケンカじゃないよね。私は長年そういうイメージを抱いていたよ。

次はこれが読んでみたい。

 

はじめての哲学的思考 (ちくまプリマー新書)

はじめての哲学的思考 (ちくまプリマー新書)